私の大切な麻衣を悲しませるあいつなんて大嫌いだとは常々思っているけれど、しょんぼりとうなだれる麻衣が「茉莉ちゃんは優しいね」と笑ってくれると、私の心臓は痛いような甘く軋むような、何とも言えない状態に陥って、赤倉よくやった、という気持ちにならないこともない。いややっぱりそれはないかもしれない。 私は麻衣を、何にも例えたくない。そこらに溢れるどんな歌にも、どんな種類の言葉に重ねることもしたくない。見慣れた通学路で、麻衣の姿を見つけるときが好き。昼休みに、弁当の包みを持って駆けよってくるのが私であることが、たまらなく嬉しい。単純な、ありふれた、当たり前で包みたい。それでも、どうしようもなく、特別だ。私の、たったひとり。 その特別を、そこらの女子と同じに見ているあいつの見る目のなさには、怒りを通り越して呆れを感じる。まぁ、ばかじゃないの、と。麻衣にあれだけの好意を向けられてまったく気がつかない唐変木っぷりも苛立たしい。気がついたらついたで、余計に腹が立つのだろうけれど。 いらいら、いらいら。力任せに紙パックをつぶすと、勢い余ってストローから飲み残した野菜ジュースが飛び出てしまった。 「う、わっ」 間抜けな声に顔をあげると、どうしようもなくしまらない顔をした阿賀左がいた。私はこいつも嫌いだ。ひょっとしたら赤倉よりも嫌いかもしれない。 「阿賀左か」 シャツの裾のあたりにオレンジ色の小さな染みができている。すぐに洗えば簡単に落ちるだろう。ココアやコーヒーでなくてよかった。 「阿賀左か、じゃねえよ。何落ち着きはらってんだよ。ちょっとは申し訳なさそうにしろよ!」 「は?」 「あ、いや、もうちょっと慌ててくれてもいいんじゃないかと、思います」 「そう。ごめんなさいね。洗面所行ってきたら?」 「そこは普通『行こう』って言うところじゃねえの」 「あんた私についてきてほしいの?」 「いやまったく、全然、これっぽっちも」 「じゃあさっさと行ってきなさいよ。あ、ついでにこれ捨ててきて」 「お前ってほんとかわいくないよな……」 だって私、あんたのこと嫌いだもの。とは、言わないけれど。 よくも悪くも、阿賀左はありふれた男子高校生だ。さほど勉強ができるわけでもなく、かといってできないわけでもなく、運動はそこそこ得意で、それから、世界一かわいい女の子に恋をした。そこだけは認めてやろうじゃないの。けれどそこがまた、いけすかない。 麻衣がうつむいて涙ぐんでしまったとき、私は後ろに佇んで笑顔を用意しておいてあげることができる。けれど、その手を引いてやることも、隣で背中を叩いてやることもできない。私にできないことを、ちょっと背が高かったり手のひらが大きいだけで簡単にしてしまえる彼らを、それが許されている彼らを、私は羨んでいるのかもしれない。 「ちょっと阿賀左」 「な、何だよ、ついてくんのかよ」 「そうよ。あんたね、ちょっと運動できて顔も悪くないからって、いつか麻衣に好きになってもらえるかもって自惚れてんじゃないわよ」 「ってねえよ……!」 「あら慌ててんじゃないの。図星?」 「っげぇよ、ばかか。だってなぁ、吉川は……」 珍しく口ごもる。ばかのくせに、ばかじゃないの。低い声や硬い筋肉をもっていても、できないことはある。誰でもいいわけじゃないことを、私は知っている。知っているから、こんなにもいらいらが止まらない。 教室に戻ると、ちょうどどこからか帰ってきた赤倉と鉢合わせた。手にしているのは一人分とは思えない弁当の包みで、忘れたくてたまらない苛立ちと悲しみが、波のように私を襲う。あんたがあんたでなければ、麻衣の目があんたを見つけなければよかったのに。もし何かしらの楔が、決定的なひとつの瞬間があったとしたら、私は時間を逆巻いて駆けもどって、その芽を引きちぎりに行きたい。けれど、恋をしている女の子は、とてもきれいだというから。私の恋はどうだか知らないけれど、麻衣の恋はともてきれいだから。結局私は何もできないで、ここに立ちすくんでいるんだろう。 苦く香るメロウ 110628 | ことり |