ゆっくりと顔をあげた佳明が、あまりに頑是ない様子で朝を呼ぶものだから、俺はその口を塞ぎたくなってしまう。ぴたり、隙間さえないよう。呼吸も漏れないよう。軽やかなことと、愚かなこととは違う。俺たちはそれぞれ、取り返しのつかないほどに愚かだけれど、重力に捕まって深くまで沈みきっている。
「地理で、習ったんだけど。川とか山とか、土とか、そういう地形は絶えず変化してて、放っておいたらそういうものは全部、海の底にいきつくらしいよ。地球の中心に一番近いところだから。まぁ、いろいろあるから、実際はそうならないんだけど」
「重力?」
「うん、そう。引き合う孤独の……何だっけ、これ」
「谷川俊太郎、それは星の引力だろ。全部は忘れたけど。俺はアインシュタインの方が好き」
「どんなの?」
 優しくなかった熱の名残が移ってやわらかくなったシーツの感触に遊ぶ。爪先にとろりとからみつく布地の、わずかばかりの閉塞感がくすぐったい。四方が開けた場所にいるより、縛られている方が好きだ。比喩を泳がせて、愉快な心持ちになる。
 果てのないものが、ときどき好きで、ときどき嫌い。世界の行き止まりは、きっとからっと乾いているのだろう。空はたぶん見えなくて、二人きりの部屋のよう、静かだろう。今みたいに。
ぞんざいに投げ出された素足に素足をからめる。三千世界の鴉を殺し。そうだ、何もかもは永遠だ。
「人が恋に落ちるのは重力のせいではない」
 すらりとした指が伸びてくる。きれいな指が俺の前髪をすいとかき分けて触れてくる。かすめた指先の感触が優しい。そこから、お前に溶け出してしまえばいいのに、と、思わないではいられない。
 額にキスをひとつ。
 それは蛍光灯のまたたきだ。青白く明滅する不安げなものだ。
「どうしてお前を好きになったんだろうな」
 キスのあとでもらう佳明の言葉は、俺をしあわせにするのに、うっすらと淡い、氷に似せた菓子のよう。舌の上で砕けば甘くしびれるくらい、ざらりとしている。
 額から除けられた佳明の指先が、髪をかきあげて耳元に触れ、するりと頬まで落ちた。触りたくってたまんない、と言われたときの素直さで笑いかけてみようとするのに、俺の頬は強張ってしまう。
 好きだから、を理由に、ありとあらゆる朝を遠ざける。満ちてくる世間様、溢れかえる常識。いらない、いらない。堤はないから、さらわれて沈もうか。見えないところ。泣いても笑っても、誰にも知られないところ。お前しか、とは言わないけれど、お前だけ、のはかなさをとっくに知ってしまっている。
「会っちゃったからだろ」
 ようやくそれだけを答えにする。全部は、偶然だ。遅かれ早かれ、なんて、あまりにも物語めいている。
 だから俺とお前の距離。何を用意しても測れない。それじゃだめか。





昔死んだあの人に訊いてみて


(2011.09.03)