!! 絶対にありえないことではあるけれど。きっとバッドエンドまっしぐら。 かたちを持たせて、何か言葉を与えるからいけないのだ。現象を現象のまま、空気か風かのようにしておけば、心をかき乱されることもない。 組み立てた段ボール箱の中に、次々に物を放りこんでいく。整理している余裕はなかった。手を止めれば、その場にへたり込んで泣きだしてしまいそうだったから。すでに目の端には熱い水が滲んでいる。つん、と鼻の奥が痛くて、呼吸がおろそかになる。 納棺に似ていて、もしかしたらこれはすでに埋葬で、決めた時点ですべては死んでしまっているのかもしれなかった。少なくとも、俺のなかでは。 扉を開けた佳明は、あからさまに驚いた顔をしていた。橘、どうした、と頬に伸びてきた手を、首をすくめて遠ざける。今そんなことをされたら、揺らいでしまう。決めたのに、もう決めてきたのに、と舌の根までつながることのできないつたない感情が、心ではなくて、どこか頭の片隅でぐるぐると振り回されている。 「お父さん、いる?」 「まだ帰ってない」 「そう」 廊下に箱を下ろす。満杯には詰まっていないから、ごそりと何かが傾いだような音がした。そちらに気を取られた佳明の視線を、首に腕をからめて引き戻す。気になるのか、それ。お前を埋めてきたよ。 「キスしたい。深いの」 すうと細められた佳明の目に、見つめられていることが嬉しい。佳明の目はきれい。きれいなものや優しいもの、当たり前に世界に許されるもの、それでいて押しつけがましくないものを、身近なものとして見たことのある目。そこにくるりと、俺を映してくれることが嬉しい。俺でいっぱいにして、他のもの、たくさんの大切を、束の間蔑ろにする。それは、俺にとって恍惚だ。 「橘、今日、どうした」 「俺はいつもどうかしてるだろ」 「泣いてたろ。何で。俺のいないとこで泣くなよ」 「泣くよ。だって、お前が……ああもう、いいから」 いくらでも、何だって、欲しいよ。 喉をそらせて、つま先立ちして、それでももう少し届かない。上向いて、唇をぼんやりと開く。教え込まれた手順に従って素直になってみせるのは嫌いじゃなかった。欲しいのは俺も同じだから。心地いい方に流されやすいよう、水の中でだらりと力を抜くみたい。 「佳明、ちょうだい」 腰に回された手が、俺を引き寄せるときの、少し性急な感じが好き。広げた手のひらを布越しに感じて、じわりと肌が熱くなる。移された熱なのか、浮いた熱なのか、よくわからない。 しとりとした、他の皮膚とは違う感触。臓腑と同じ色をしたものを、同じものでぴたりと塞いで、唾液を混ぜ合わせる。 好きだ。佳明が好きで、佳明がくれるものは何だって好きだ。俺にとって心地よいものを選んで与えてくれているのだとわかっている。けれどきっとそれを抜きにしても好きだ。 下唇に甘く噛みついたかと思うと、思いつめたように舌をなぶる。絡み合う感触に少し遅れて、小さく水音がしたのを、内側から聞いた。ぞろ、と芯から融けていく。耳の奥の方がじわりと熱くてぼうっとする。 好きだ、好きだ、好きだ。痛い。鳴りやまない。 たちばな。唇をくっつけたままで名前を呼ばれた。色づかない声。透明なお前なのに、何も透けない。 頬がすうすうとする。つめたい。 「何で」 涙が線をひいたのを咎められる。俺のいないところで泣くな。俺がいるのに泣くな。佳明の二種類の言葉は少しも矛盾しない。 「だって、好き、なんだ。佳明。俺は何を知ってるってわけじゃないけど、お前を愛してるってことはわかる」 永遠は信じない。けれど、佳明のいつかからさえ自分を消してしまうことを思うと身震いする。お前が先のことを話すとき、そこに俺を置いていないこともあると、わかっていた。ときどきそれが我慢ならなかった。けれどそれが理由ではない。 物事を整理するのは苦手だ。何を捨てて、何を持っていなくてはいけないのか、自分でうまく決められない。お前が初めてだったんだよ。迷わず一番に置いて、特別で、そっくりそのまま疑いようもなく大事だったもの。 ついと涙のあとをなぞられる。佳明はいつも他愛なく俺を籠絡する。お前の手、あたたかいよ。いつも少しひやりとしていると思っていたけれど、今日はいやにあたたかい。 「別れたいんだ」 砂を広げるみたい。川床からさらった砂を乾いた地面に広げて、それから踏みにじるみたい。 川の深さは一定。顔をあげている間に水位が減ることはない。けれどさっきそこにあった水はとっくに下流に押し流されている。常に新しい水が流れ、厚い水をつくっている。古い水は、海へ。ひたすら海へ。 河岸を削って、礫や土砂も海へ。汚水が混じっても、それも海へ。 人は、俺は、お前は、川だろうか海だろうか、それともただの一滴の水だろうか。 俺をすっかり飲みこんでしまうお前。 水葬 (2011.08.22) 絶対にないいつか、だけど。 |