夏は何もかもが極彩色。用水路のコンクリートに貼りつく枯れかけた葉から、屋上の上に船かなにかのように置かれている貯水タンクから、ゆるやかに閉じて行く踏切の遮断機から。春は唐突にくる、冬は去来する。夏や秋は、ゆるやかに蝕むものだ。どこからどこということはなく、継ぎ目はなく、じわりじわりと錆が伸びるように、季節が焦げていく。ゆるやかにうねる道の向こうに秋が立っていて、肩をすくませている。秋は言う。さっき立ち上がったところなんだ、目を覚ますのも、億劫だね、近頃の地球は。
 薄いオゾンにくるまれて、惑星はゆりかごの役目を終えていくのか。じゃあ次は、船になって。錨をあげて、沖の方へと押しやって。本当に、惑ってしまえばいい。まどろむように。
「そろそろ本腰いれて課題やんないと、お前あとで泣いても知んないよ」
「そういう橘は進んでんの」
「さっきから俺は何をしていたと思ってるんですか、佳明くん」
「……手紙書いてた、とか」
「ノートに? ちぎって送んの? あほか」
 部活から帰ってうっとりと眠そうにしている佳明をちらちらと横目で気にしながら片付けていた課題は、実を言うといくらも進んでいない。ばらまかれた文字は確かに日本語なのだけれど、どうもしっくりと俺のなかに噛み合わない。いっそ手紙だったらよかったのかもしれない。ためらいながら落としていく単語と単語をつなぐタイムラグばかりが積もるのに、出来上がった手紙にそれは残らない。だから書きあがった手紙は景気よく破り捨てて、できることなら燃してしまおう。
 目を閉じると、目蓋の裏にさえ熱がこもるような気がする。首元には夏の裳裾が絡みついたままなのに、足先に秋の影が長く伸びて落ちている。
 溶けはじめた棒アイスの、手元に近い側に唇を寄せる。水のようになった甘さをじゅわと吸い取ってから、さくりと齧り取る。歯の根元がきんとしびれるような冷たさ。反対側から滴が落ちる。つう、と顎の方に向かって垂れていきそうになったのを慌てて舌で追いかけた。
 スーパーの特売、三割引きのアイスクリーム。そろそろ白桃は見かけなくなって、梨が並ぶ。
 顔をあげても秋は見えない。振り返るとそこにいるような気がする。
「夏っていつの間にか終わるよな」
 思考をすくい上げられたみたいで、どきりとした。同じこと、考えてた。
 食べ終えたアイスクリームの棒をごみ箱に放る。ふちにあたって、かつんと音をたてて、すんなりと中に落ちた。
 俺より先に封を切っていたはずの佳明は、まだつめたい甘ったるさを舌の上に載せている。汚すなよ、と言うと、ん、と喉の奥で答えて上向いた。その口元にぱたぱたと滴が落ちる。
 指先や手の甲はとっくに溶けたアイスにまみれてしまっている。長い爪の根元、さかむけのできるところに、うっすらと透き通る滴が溜まっていた。指を伝って手の甲に流れたあと、手首の方まで線を引く。
 ゆっくり、ゆっくりと、最後の一口を食べ終えてしまうのをじりじりと待って、口元を拭おうとした佳明の手を捕える。投げ出した足の間に割って入って、冷え切った水に浸かるときみたいに、そろそろと身を寄せる。
 唇の輪郭にそって舌をはわせる。下唇をなぞったあと、放した手が口元に寄せられたので、濡れた指先を口に含む。じわ、と一瞬甘くて、すぐに肌の味に変わった。硬い爪の感触が舌の先に触れ、前歯の内側をなぞってから逃げていく。ちゅる、とわざと音がするように指を離して、もう一度唇に戻った。
「甘い?」
「ちょっとだけ」
 唇をなぞるつもりで舌を伸ばしたのに、もっとやわらかいものに触った。思わず逃げ出そうとしたのを佳明は許さない。
 鼻から呼吸をして、ぐずぐずとキスが深くなる。誘いこまれるまま、口内を一通り粗くなぞったあと、歯や、その裏側、舌に、丹念に触れていく。熱い唾液が口の端からこぼれそうになったので、じゅ、と吸い取ってしまう。
 こちらから秋は見えない。ただ秋の影が目の端に移るばかり。だけど秋の方ではこちらを見ている。肩をすくませて、顔はあちらに向けていて、夏に浮かれた人間を横目で見やっている。
 最後に浅いキスを残して唇を離す。甘く冷えたはずの口の中はすっかりとろけて熱くなってしまった。
「甘かった?」
「あんまり」
 床に落ちていた棒アイスの木切れをひろって、ごみ箱に放る。またうまい具合に中に落ちた。
 捨ててしまいたいものが、ないわけではない。もう少しうまく一人で立てるように、支えをいくつか失ってしまうべきだ。太い血管の隙間を埋め尽くそうとする真っ黒な嫉妬心からも身軽になりたい。けれど、捨て損ねるともっと面倒なことになるのは目に見えているから、俺は後ろ暗い複雑さを持ったまま佳明を愛そう。いつか、溶けてくれたら。
「お盆過ぎたらもう学校だし、嫌んなるよな」
「どっか行こうぜ」
「どっかって」
「どこかは、どこか」
 にんまりと笑う。秋の目の届かないところなんて、もうどこにもないけれど、それでもいいかと訊ねれば、佳明はいいに決まってると答えることだろう。




stuck on you


(2011.08.09)
 伊庭さんからのお題:アイスべったべた。