右と左とに振られた音楽を分け合いながら、継ぎ目の多い線路の上を揺られた。かちりかちりと端子を差し替えて、お互いのmp3プレーヤーから交互に音楽をひとつずつ選んでいく。俺の好きな曲、お前が好きな曲。
 これ、何て言ってんの、とひそひそと問うたときに返ってくる台詞は、たいていありきたりなものだった。好きなひとがいること、ときどき寂しいこと、綿を分け合うこと、毛布を引っ張ること。歌われる人間はいつでも救われたがりだから、いとしい。
「恋とか愛とか、ありきたり」
「ありふれたものこそ失くしたときにいちばん後悔すんだぜ」
「誰の言葉?」
「知るか」
 小さくフェードアウトして、曲が終わった。俺の番だね、とボタンに親指をはわせる。するすると、何かをほどくように、指先から新しい世界を広げてみる。く、と喉の奥でわだかまる。ストローク、響くんだ、いつの間にか。
「これ好き」
「ほんとに」
「うん」
 俺たち、趣味はあんまり合わないよな、と笑うとき、何だか妙に幸せだ。鉛筆の線がかすれるみたいに、ときどき途切れてしまいそうになるけれど。凝らないで、続いてゆけるのだから、やはり幸福なのだと思う。
 好きな音楽も、好きな色も、好きな味も、違う。そういえば好きな人も違う。俺が好きなのはお前で、お前が好きなのは俺だから。それなのに一緒にいるのか、それとも、だから一緒にいられるのか。それに答えて歌ってくれる人はいない。

 海のそばの、その駅で降りたのは俺たちだけだった。無人駅だったので、切符を持ったまま、小さな駅舎を出る。指先で触れてみる硬い紙の断面。紙は意外と鋭くて、上手な人なら葉書や名刺で割りばしを切ることができるらしい。やってみたいとは思わない。
 定期券が連れて行ってくれる範囲よりずっと先にある駅は、見たことがない景色の中にすんなりと収まっている。線路は身近だ。自販機やコンビニのように。駅はそれらとは違う。道や信号機や、きれいなお姉さんの髪を隠す帽子と同じ。
 隣に佳明がいるというのに、とりとめのないことばかり、過ぎっていく。
 近頃お前のことを考えると、怖い夢を見たあとのような気持ちになるんだよ。
 もしかすると雨が降るかもしれない、というような空模様で、海までの道にはぬるく湿った空気が積もっている。よそよそしさがふいに背中にひたりと手を置いたようで、ぞくりとしたから、佳明の手を取ってみた。指の先を持ち上げて、ぎこちなく、ちょっとだけ手をつないで、すぐに離す。佳明は一度もこちらを見なかったし、何も訊かなかった。



 体全部水に浸かってしまうよりは、少しだけ触っている方が好きだ。手のひら、手首、せいぜい肘まで。ふくらはぎの中ほどまでを洗って、ざあっと引いていくのが一番いい。
 泳ぐには少し季節を逃しているせいか、海辺には誰もいなかった。浜は砂ではなくて、砂利で埋まっている。歓声や期待を楽しむための海ではないから、真っ盛りの頃にきても、誰もいなかったのかもしれない。
「誰もいないな」
「誰、って、誰」
「若者とか家族連れとか、スイカ割りしたりバレーしたりしてる人のこと。いろいろだよ。あ、あと、子供とか」
「俺たちだって子供じゃん」
「電車は大人料金だけどな」
「小学生だったらもう倍遠くへ行けるのか。子供ってすごいな」
「行けるかよ」
「そっか。子供だもんな」
「そうだ」
 そうかそうか、と。うつむきながら喋る。
 この海岸では、足元に転がる小石のなかに、翡翠を見つけることができるらしい。どこからやってくるのか知らないけれど。まさか湧いてでてきたということはないだろうから、流れ着いたのだろうか。漂泊する宝石、なんて、ちょっと空想的過ぎて食傷気味だ。
 海岸というものは、ほとんど全部が砂浜で、砂利の浜辺なんてないと思っていた。けれどこうして見てみると、海へと続く灰色は不思議なほどしっくりとくる。水に濡れてつやつやときれいな小石。足の下できゃらきゃらと笑う。
「あんのかな、翡翠」
「頑張って探せよ」
「飽きた」
「早いな。早過ぎだろ」
「あ、海ガラス」
「何それ」
 知らねえの、と佳明が握りこんだ手のひらを開いた。薄い青色の小さな石がぽつりと乗せられている。肌の色を透かすほどには薄くない青色、ラムネよりくどくて空より淡い。
「ガラス?」
「海で砕けて、削れて、こんなになんだよ。乾いてるとそんなでもないけど、濡れてるとさ、きれいだろ」
「俺でも探せる?」
「いっぱい落ちてるよ」
 それから、翡翠を探さないで、海ガラスばかりを集めて歩いた。タイルのように薄いもの、丸い粒のようになったもの。握った手のなかで、体温が移って、ガラスは熱くなっていく。それでも、色はいつまでもしんとして薄青かったり、緑だったりした。
 いつの間にか佳明は海ガラスを拾うことにも飽きたのか、海の水に両足を浸していた。裾をまくって、靴はどこかに放り投げてしまって、ゆるゆると歩いていく。そうか、下腿骨の長さの分だけ、俺より遠くへいけるのか、お前。

 透明なものに、今なら触れそう。溺死したいんだったら、ちゃんと俺の手を引いていけよ。




息する翡翠


(2011.08.05) 翡翠海岸、ていうのがあるんです。