表層の、一枚ぺらりと剥ぎ取ってしまえるところは、単純で、陽にかざすとうっすらと透明で、うつくしく見えた。好き合う、ということ。こだまのように、そこにお前がいること、響くこと。喉の奥に、深い匂いがわだかまっているのを感じる。名前を、呼んで。何度でも好きと言って。ときには愛してるなんてささやいてみせて。
 お前がくれるものは尽きない。お前の持っていたものは、そっくりそのまま全部俺にくれたというけれど、それでもまだ降りやまない。
 そんな今に慣れ過ぎている。

「なぁ、変なこと聞いていい?」
 指先でひっかくように、リセットボタンを押す。電源が落ちて、赤いランプが小さく光る。
 無駄なもの、に向ける佳明の関心は、情が恐ろしく薄いことを自覚している俺でも驚くほどに、等しく冷やかだ。いくら重ねても深くならないもの、毒にも薬にもならないものへの佳明の興味はとても淡白で、払い除けることさえしてやらないほど。そのぶん、手にしたものへの執着は強いのだと信じたい。二度と手放してなんてやらないよ、と言葉をいくらもらっても、俺はどんどん我儘になるから。
「おい、黙るな」
「あ、ごめん何」
「俺さ、お前とこうして話すようになるまでどうしてたか、もう思い出せねえの。こんなんで、どうしたらいい?」
 一人の朝や、口を開かないまま過ぎ行くだけの帰り道、景色。かつての自分がいたところに、佳明はいないんだということをいくら念頭に置いておいても、上手に以前のことを思い出せない。佳明が佳明を俺にくれたように、俺だって俺の全部を佳明にくれてやってしまったので、もう今まで自分が知っていた場所のどこにも一人では立っていられない。
「……今さ」
「うん」
「俺のこと好きでしかたないっつった?」
「何でそうなる」
「でも間違ってないだろ」
「概ね」
「ほら見ろ」

 俺はお前が好き。お前は俺のことが好き。単純なものが根底にきてしまうと、その他の多くのわずらわしい物事の優先順位は、どんどん低くなる。

 コードを巻き付けたコントローラーを棚のなかに押し込み、立ちあがったその間さえもどかしいみたいに、知り過ぎた両手に身体を預ける。知らないことなんてない。布越しにそこにある熱が俺のものよりいくらか高いことも、なぁとねだるまでもなくお前はすぐ俺の背中に腕をまわしてくれることも、一番近いところにいるときには心の底から安らかでいたっていいはずなのに、そうはいかないことも。
 何も言わなくても、何を求めなくても、応えてくれる、与えてくれる。高いところからは高いところへ、低いところからは低いところへ、運ばれていく心根は自然と角がとれて丸くなり、よしあき、とお前を呼ぶときにはすっかり正体がなくなってしまっている。

「世の恋人たちはさ、ずっと一緒にいようなんてどうして言えるんだろうな」
「約束だから?」
「口約束なんてくだらない」
「信じてるから?」
「人間ほど信用のならないものはないよ」
「いつになく後ろ向きだな。俺のことも信用ならない?」
 佳明の指先が、首筋をたどって、鼓動が強く浮き上がる場所を探している。するりとなぞったあとで、心臓と脳、生かすところと生かされるところをつなぐ太い血管に、淡く爪をたてられた。かすかな痛み。きっと痕は残らない。それでも、傷つけられた、と思う。
 もし胸に扉でもついていて、簡単に心臓を取り出せるとしたら、こいつはためらいなく触れてくるだろう。広い手のひらでべたりと覆って、試しに握ってみるくらいのことはするかもしれない。
「わかんない。言ったろ。俺のもってるものは全部お前にあげたから。信頼も信用も、お前のとこに置いてある」
「だったらそれでいいだろ。全部預けておけば。どうせならその不安ごとくれよ」
「できるもんならそうしたい」
「何でできねえの」
「あんまりお前が好きだから?」
「嬉しいね。好き過ぎてどうしようもないって?」
「それでいいよ」

 ひとつわかっていること、抱きしめられることは好き。佳明の腕の中に深く収まって、降ってくる声を受け止めているのが好き。低く落ちる言葉は、すべて俺のもの。もっと言うなら、この腕だって俺のもの。ときどき臆病に脈打つ心臓だって、そこから流れ出して止まらない赤い血だって、俺のもの。
 つまり俺の全部で、お前にあげてしまった俺の全部で、お前のことが好きなんだ。




そこにある愛のようなもの


110617 | ことり