痛いくらいにしんと静まり返った夜の中で、キュウはじっと空を見上げていた。 目を見開いて、キュウは途方もない宇宙を凝視する。 いや、しようとするのだけどできない。 濃密な夜は宇宙そのもので、キュウはそれと比べてあまりにもちっぽけだった。 小さなガラス球しかキュウの目玉には入っていなくて、その屈折率ではあまりにも広い宇宙の一点を捉えることなど、できやしない。
 遠くまで、みっちりと暗闇が詰まっている。 どろりと粘っこいのか、砂のようにさらりとしているのか、それはよくわからない。 ともかく、キュウの頭上にはぱんぱんに膨らんだ宇宙が広がっているのだった。 そのわずかな隙間にもぐり込むようにして、星がまばらに、確かな光を放っていた。
 北斗七星。カシオペヤ。北極星。 それくらいしかキュウには判別できなかった。でも星を綺麗だと思うために名前なんて必要ない。
 キュウは耳を澄ます。 目で見るよりも、そうした方が確かなような気がした。
 きらきら、と言う言葉がキュウは好きだ。星のきらめき、小さな光、怖いくらいの黒の中で瞬く光を表すのにこれ以上似合う言葉は、きっとどこにも無い。
 ちりちりと鼓膜を震わす無音の最中に、かすかに混じるノイズのようなもの。ぴんと張り詰めた呼吸を幾度となく繰り返して、キュウはただひとつの音を待った。
 きら。
 聞こえた、とキュウは思う。おそろしく微小な、星の溜め息。 ひとつ捉えてしまえば後は連鎖反応を起こすように、きらめきが溢れるばかり。 音の洪水がキュウを包む。
 きらきらきらきら。
 きらきらきらきら。
 キュウはキュウ自身を手放す。 ふわりと軽やかに、キュウは夜の中に融けていく。 それはつまり、宇宙に融けるのと同じことだ。 真空の闇が満ちる、キュウは空っぽになる。
 どこか遠くで星が呼吸している。 キュウはそれに、自分の呼吸を合わせる。 吸うのは闇、吐くのは光。 いつしか拍動も重なって、キュウはひとつの星になる。
 星は闇の隙間に、闇は宇宙に。星は闇に抱きしめられて宇宙に散っている。
 キュウはやがて、宇宙と同化していく自分を感じ始めた。 呼吸や四肢の動きから、拍動、果ては血液の流れまでを完璧に宇宙に融かす。
 キュウはついに宇宙になった。 キュウはもはやキュウではなく、北斗七星であり、カシオペヤであり、北極星だった。 そして漆黒の、どこまでも深い闇、あるいは夜と呼ばれるものでもあった。
 触感のないまま、宇宙になったキュウは虚空を掻き、そっと地上の様子を覗き見た。 踏み切りの側の空き地に、キュウの体が転がっている。 重力に囚われて地面に伏し、ガラス球は宇宙になったキュウを映している。
 宇宙になったキュウは、自分が死んだのだということを悟った。
 きら。
 あぁという、驚愕のような感嘆のようなつぶやきは、一粒の光の些末になった。 淡い輝きを纏って、そうかと思うと瞬時に瓦解する。 悲しいと言えば嘘になり、死にたくなかったと言うことも嘘になる。 ちっぽけな、声になりきれなかった呼吸より少しだけ存在感のあるつぶやき。 宇宙になったキュウにとって自身の死とは、それくらいのものでしかなかった。
 生きている頃、とりわけ小さな子供の頃は死ぬことがとても恐ろしかった。 それが今はどうだろう。 心は少しも動かない。むしろ生前よりも穏やかでさえある。
 きらきらきらきら。
 きらきらきらきら。
 無限の、音の洪水が流れてくる。 宇宙になったキュウもまたその一部となり、暗がりの果てを探してどこまでも手を伸ばす。 どこまでもどこまでも行った先、夜の果て、宇宙の果て、そして世界の果てと呼ばれる場所へ辿りついたとき、宇宙になったキュウはまた新しい生を与えられるのかもしれなかった。