夏祭りの日の喧騒だとか、従兄弟達とした蝉取りだとか、ラムネのビー玉を取り出す瞬間だとか。 私の心を躍らせるものは、いつだって夏の日の一場面だった。思い返して、一番鮮やかな色をもつのも夏。
 その夏が蘇る。
 ワンピースの裾を翻して、水しぶきをたてて遊んだ。 アイスバーをくわえたまま、蟻の行列をずっと見ていた。 麦わら帽子の中に、蝉の抜け殻を集めた。 草むらに寝転がって、どこか甘ったるい匂いを嗅いでいた。
 何もかもが新鮮で、一日一日が、全く違う別の世界のようだった。 同じものは何一つなかった。
 あの日の私が帰ってくる。
 ごてごてと装飾されて、原型をとどめていなかった心臓が、元の形を取り戻す。 理不尽な痛みだとか息苦しさだとか、そういうものを全部脱ぎ捨てて、私の心臓はようやく私として脈打ち始める。
 覚えている。
 思い出せる。
 きらきらと、眩しいくらいに輝いて、夏の日の記憶が私の眼前に展開される。
 でも、それで終わりだった。 伸ばした手の先が光に触れることはなく、私は、けしてあの夏に戻れないのだということを思い知る。
「戻りたいな、あの頃に」
 ひび割れた声。 喋ると喉がひどく痛む。
「帰りたいな・・・」
 病的なまでに清潔なシーツの上。 私は幾度もそんな思いを呟いては、空っぽの私を抱えたまま眠りについた。
 カーテンで仕切られた狭い空間は、全く季節の匂いがしない。 日差しや、花の色や、人の声や。 そんなものを断絶して、私を苦しめる。
 本当に、どこまでも遠い夏。
 ノースリーブから細い腕を出して、水と戯れていた。 首からカードを下げて、まだひんやりとしている空気の中を駆けた。 ヒマワリの隣で背伸びした。 暗闇の中で踊る閃光の影を追いかけていた。
 私の心を躍らせるものは、いつだって夏の日の一場面だった。 それは万華鏡の中の光の渦のように、きらきらと輝き、絶え間なく変化する。 同じ瞬間はどこを探しても存在しない。 刹那的でありながら、虚無感は一切無い、閉演時間のない遊園地のよう。
 覚えている。
 思い出せる。
 鮮明に、細部までありありと。
 でも、それで終わり。光の中へは戻れない。 私はシーツの中で丸くなり、また、幾つもの夜を数えるだけ。 せめて、きらめきの片鱗を夢に見て。


(2006/04/29)